miedom2009-04-07


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ようやく読み終わった


極端に句点の少ない雅俗折衷文体で1文読んでる途中で電車乗り換えやウンコ終わりで中断されてあれどこまで読んだっけなんて何回もやって疲れた

ちなみに「たけくらべ」は初っ端コレで1文

[青空文庫]
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/389_15297.html

 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉(とり)の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着(はるぎ)の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者(くるわもの)にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死(しんぢう)のしそこね、恨みはかゝる身のはて危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山(ゆさん)らしく見ゆるもをかし、娘は大籬(おほまがき)の下新造(したしんぞ)とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈(かんばん)さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは檜舞臺と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやら/\忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠や此處からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あたりには言ふぞかし、一體の風俗よそと變りて、女子(おなご)の後帶きちんとせし人少なく、がらを好みて巾廣の卷帶、年増はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿(ほゝづき)ふくんで此姿(なり)はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に殘れど、けふは地廻りの吉と手馴れぬ燒鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再び古巣への内儀(かみさま)姿、どこやら素人よりは見よげに覺えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀(にわか)の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも學びし露八(ろはち)が物眞似、榮喜(えいき)が處(しよ)作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそゝり節、十五の少年がませかた恐ろし、學校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷(いりや)ぢかくに育英舍とて、私立なれども生徒の數は千人近く、狹き校舍に目白押の窮屈さも教師が人望いよ/\あらはれて、唯學校と一ト口にて此あたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の數々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋(はねばし)の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のりや愁(つ)らき子心にも顏あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷(いへ)の祕藏息子寮住居に華族さまを氣取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かる/″\と花々敷を、坊ちやん坊ちやんとて此子の追從するもをかし、多くの中に龍華(りうげ)寺[#「龍華(りうげ)寺」は底本では「龍華寺(りうじ)」]の信如(しんによ)とて、千筋(ちすぢ)となづる黒髮も今いく歳(とせ)のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心(ほつしん)は腹からか、坊は親ゆづりの勉強ものあり、性來をとなしきを友達いぶせく思ひて、さま/″\の惡戲をしかけ、猫の死骸を繩にくゝりてお役目なれば引導(いんだう)をたのみますと投げつけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて假にも侮(あなど)りての處業はなかりき、歳は十五、並背(なみぜい)にていが栗の頭髮(つむり)も思ひなしか俗とは變りて、藤本信如(ふぢもとのぶゆき)と訓(よみ)にてすませど、何處やら釋(しやく)といひたげの素振なり。

多分/\はゝ

次はコレ